N-Yoppyのブログ

出身地宇出津をつづる

6年生での思い出

山の家

これは確か能都町瑞穂にあった施設

名前は覚えていない

ためしにネットで検索しても該当するものが見当たらない

泊りがけだったような

「旅行のしおり」が配られ、そこに「22才の別れ」の歌詞が書いてあった

到着後、たしかオリエンテーリングをやったはず

地図を持ちながらチェックポイントを探した

夜はカレーライスを食べたかな?

それから肝試し?か何かをやったような

翌日は帰るだけだったが、その時足をスズメバチに刺されてしまった

(自分とK下くん)

たまたま、宇出津のM木病院の院長先生がそこに来ており、刺されたところに駐車を打ってもらった

刺されたところは今での痕が残っている

 

修学旅行

行ったの先は金沢

まずは兼六園

当時入園は無料だった

その後、おそらく兼六園下の裁判所に行った記憶あり

 

鼓笛隊

これをいつやったか覚えてない

運動会の時?

いずれにせよ、雨だったのは間違いない

 

何でこれをやるようになったんだろう?

自分たちで物語を創作し、脚本から衣装なども考え作った

物語は、男子と女子とそれぞれ作らせてその中から選んだ

女子の作品、タイトルが「森は友だち」か「森は生きている」ってもので自然保護の話ではなかったかな〜?

一方男子は、沈没した日本を、南極の氷を切り出し日本を再生する話だった

自分は男子のメンバーで、最初の話を考えた

で、どちらにするかの話し合いで多分多数決で男子の作品何選ばれた

ただその時は自分が作った所しかできておらず

そこからHくんが中心となり完成させ無事劇は終わった

6年3組はまとまりがよかったと思う

男子と女子はなかよくやっていた印象

それもありこの時は1番楽しかったんだと思う

話に国連の場面があったが、その時のNさんの

「くだらん実にくだらん。フランス直輸入のチーズパイを食べよう」

Tさんの「私にも一つちょうだい」

という2人のやりとりはなぜか覚えている

そもそも何でこんな話を作ったのか?

当時、「日本沈没(1973年)」や「ノストラダムスの大予言(1974年)」が上映されておりその影響があったんでしょうね〜

映画というと、当時宇出津には映画館があった

第二保育所こばと保育所)のとなりに

調べてみると「能都東映」って名前

梶川沿いの林の肉屋さんの横の家の前に映画のポスターが貼ってあった

ノストラダムスの大予言」のポスターは不気味で怖かった記憶が

にっかつなどの映画も上映していた記憶があり、ポスターには興奮を覚えましたな〜

今では考えられないけど

 

校内相撲大会

昔、グランドの校舎と反対側の端に相撲場があった

そこで、毎年男子は相撲大会があった(全学年だったか4年生以上だったか)

今では考えられないと思うが、当時は当時はまわし(さらし)を着けて本格的にやっていた

で、6年生の時には後に中学校で相撲部に入るS下くん準々決勝で勝った

次にK下くんに負けて校内相撲大会は3位だった

その後に行われる能都町相撲大会では、自分もメンバーに選ばれなんと優勝しました!

準決勝では、中学校で一緒になるI田くんを下手投げで下し

決勝では、おそらく鵜川小学校の子だったと思うが、得意右からの掛け投げ勝利しました

この時は興奮したし、嬉しかった!

 

卒業式

そして、6年生最後の日 
掛け合いが始まる

在校生
「春です、春、希望に燃える春が来ました」「卒業生の皆さま、卒業おめでとうございます」「おめでとうございます」と在校生が
卒業生

「ありがとうみなさん」「先生方」「お父さん、お母さん」「本当にお世話になりました」「お世話にありました」
「足りないところを、皆さんの知恵と力で補い」「新しい校舎にふさわしい伝統を作っていってください」

生徒会会長Yくん
「目録。一つ鏡5面」などなど
そして、最後の曲はたしか「今日の日はさようなら」だったかな
ちょっと泣けました