国鉄バス
駅前の広いスペースには国鉄のバス乗り場があった
大きながま口のようなかばんを持った車掌さんがバスの中程に立っていた
このバスで、本家がある神野まで行っていた
中斉(なかさい)行きのバスだった
新町通りを藤波に向かい、宇出津高校の横の道から中斉の方に向かった
その道は当時は舗装されておらず砂利道だった
中斉の途中で降りそこから本家まで歩いたり、本家の方が車で迎えに来て頂くこともあった
北陸鉄道バス
これは祖母がいる輪島に行くのによく乗った
色は今と同じ赤みがかった車体
乗り場は、スーパーマルゲンの前
マルゲンの乗り場の近くには食堂があったような?
「きたてつ」→家では北陸鉄道をこう呼んでいた
今ではない「ワンマン」の表示があった
ワンマンなので、整理券というものが必要となり乗車口に発券機が備え付けられていた
それと、「次は平体口です」という女性の声のアナウンスがあった
そして、降りるときは「ブザーボタン」を押す
これが押したかった!
祖母の家は弥生町だったので、その時押すのが楽しみだった
当時宇出津から輪島への道は今と違って非常に狭かった
柳田の町中の道もそうだが、そこを抜けて久田に行くまでの道が狭かった
さらに狭いのが、曽々木口から輪島への道
途中に橋がかかっているのだが、昔は橋は今の半分(1本)しかなかった
道は曲がりくねっており運転手さんは大変だったと思われた
ただ、接客は今ひとつだった
特にお釣りに対して
この対応がなかなかだった