N-Yoppyのブログ

出身地宇出津をつづる

宇出津駅

宇出津駅
 昭和35年(1960年)に能登線が宇出津まで開通したと以前書いた

今はなく、コンセールのとがこの場所に建っている

https://noto-sports.jp/facility/%E8%83%BD%E7%99%BB%E7%94%BA%E8%A6%B3%E5%85%89%E3%83%BB%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E4%BA%A4%E6%B5%81%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%8C%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%A8/

開通当時のことを中学1年の時の担任のK多先生(波並在住)が、「能登線が開通した時はお祭りやった」とおっしゃってた
それだけ鉄道は奥能登にとって悲願だったんだろう
待合室には木製の長椅子が二つ「背中合わせ」で置かれていた
そして売店 
新聞、観光ガイド、お菓子などが売られていた
ただ宇出津駅では駅弁はなかった記憶が
穴水駅に行くと、駅弁売りの人が駅弁を売ってた
特徴ある容器に入ったお茶はあったかくて美味しかった
切符はもちろん「ハード」
改札口で切符切りでパチン いい音
 急行と「鈍行」があった

急行は、宇出津、鵜川、甲、穴水に停車

反対側は、どこに停まったんだ〜?

後で、知ったことだが、当時からこの路線は経営が危ないって言われたいたとのこと

それを承知で建設したらしい

まー当時はそういう路線が全国各地であったんだろう

この路線の特徴としてトンネルがやたら多かった

たしかに多い

平地が少ない奥能登のならではである

トンネルにはひらがながふってあり、たしか「いろは」の順だった

 

よく行ったのは祖母が住んでいた輪島

穴水まで行き、そこで乗り換え

当時はなぜ乗り換えるかが分からなかった

「そのまま輪島まで行けばいいのに」

その後、輪島は七尾線だったことを理解した

輪島駅前に8番ラーメンがありそこで食べた記憶あり

そして、金沢

金沢駅には大きな加賀人形があった(ポスト?)

そこから、大和へ行き屋上の遊具に乗り、昼レストランでのお子様ランチがご馳走だった

金沢ヘルスセンターへも行った

今はなく、「見晴らし台」という広場になっている

割と家から近く時々ドライブに行っている

ただ、金沢は遠かった

行くのに2時間半から3時間かかったと思う

当たり前だが往復はその倍

ホント金沢は遠い存在だった