N-Yoppyのブログ

出身地宇出津をつづる

あばれ祭り やっぱキリコでしょ!

やっぱり宇出津と言えばキリコ祭りでしょう!

ワクワクです!

 

当時は、キリコ祭りは7月の7日、8日でした

なので、開催がすべて平日ということもあった

その前日(2日前?)は子ども祭りで、子どもキリコが町に繰り出す

今もそうですが、その時期は梅雨なので雨が多い

なので、キリコの中福をはじめ、提灯、ぼんぼりにビニールをかぶせてあるので雨対策です

 

太鼓もやらせてもらいましたが、横笛は一番の思い出です

横笛は、唇を当てる所の横にある穴にセロハンテープを貼りそれが響くこと音がでます

父から、「竹の皮をはるといい音が出る」と言われ

竹を切ってきてその内側の薄い皮を剥ぎそこに貼り付けたことがあった

セロハンテープとは全く違い大きくいい音が鳴った

笛には通常の運行に奏でるものと、キリコが休んでいるときに「休み太鼓」とともに一緒に奏でる「休み笛」があった

祖父から「休み笛」を教えてもらったが、祖父は元々神野出だったんで神野式のものだった

 

祭り初日

初日は棚木にキリコを並べにいく

学校が午前中で終わり、家に帰って法被に着替えキリコが置いてあるところに向かう

午後の3時からキリコを動かし棚木の目的地に置きにいく

だいたい5−6時には終わって家に帰る

で、「ごっつお」を食べるのだが、夜の8時ぐらいから花火が打ち上がる

それが終わり夜の9時からキリコが動く

目的地は役場前の松明

火のついた松明の周りをキリコで回る!

熱い熱い!

キリコを担いた人は大概手に松明のやけどが痕があると思う

それが終わって町内に帰る

 

祭り2日目

その日が日曜でなければ普通に学校がある(土曜は半ドン

もちろん午前で終わり

学校が終わり昼の3時からキリコを動かす

目的地は本町通り

これも夕方前には一旦終わり家に帰る

ご飯を食べ、夜の8時?ごろからキリコが動きだす

そして新町あたりで止まりそこでひたすら神輿が来るのを待ち続けるのである

この神輿を待っている時が祭りの中で一番好きな時間である

神輿が通り過ぎると観音寺を目指しキリコが再び動き出す

大平川を右手に見ながら、神輿が暴れたあとのくすぶった松明が目に入ってくる

そして、八坂神社下を過ぎ再び新町通りに入り各々の町内に戻っていくのでは

当時は遅い町内は夜が明けるまでやっていた記憶がある

 

この2日目の祭りであるが、重要なのは神輿が主役ということである

神輿が本町から新町、岩屋町、観音寺→八坂神社に奉納されることが祭りのメインなのである

さいころは「神輿が主役、神輿が大事」って考えたことはなかった

なので、そのころは神輿を海や川やあるいは燃やすところを見たことはなかった

京都の祇園祭りを思い出すと

この祭りは沢山の山鉾が京都の街を練り歩くのだが

山鉾の役割は、神輿の通り道が分かりやすくする目印なのである

(「京都人の密かな愉しみ」より)

まさに宇出津のキリコと同じ!

その昔、当地で疫病が流行った際、それを鎮めるため京都の八坂神社から牛頭天王素戔嗚尊分祀したことをその起源としており似ていて当然なのです