校舎の建て替え2
前回の投稿で「昭和51年7月に新築落成式を挙行」となっており、その時は4年生でした
ただし、その前年(自分は3年生)の卒業式は、新校舎の体育館で挙行されました
卒業する6年生(姉もいた)は新校舎で学ぶことができないので、せめて卒業式だけは新校舎でとの配慮があったようです(「宇出津小学校百年のあゆみ」より)
4年1組
4年生は1組でした
それまでずっと2組だったので初の2組以外のクラスに
進級した当初はまだ旧校舎だった
教室の場所は2階の一番端(→新町通り寄り)だったような
担任はT先生ででした
ご専門は社会で、日本史は面白かったです
教科書に出てこない話もされ、それもあって日本史が好きになりました
佐々木高綱と梶原景季との先陣争いの話ですが、それぞれ源頼朝から名馬「生食」(いけづき)、「磨墨」(するすみ)を与えら、川の中での掛け合いを生き生きと話されました
ただこの先生、けっこう手がでることがあった
おそらくこの学年だったか、同級生が自転車で学区(校区)を越えたところへ行った(「遠乗り」)ことがあり、それがバレれたとき行った生徒を教室の前に出し叩いた記憶あり
この時、教育実習生としてM田先生が来られました
青いカーディガンを着ていて、きれいな先生でした
初めて大人の女性を意識した記憶があります
その後先生として、宇出津小学校に勤務されていたようです
このクラスではOさんという女の子といっしょになった
目が二重でかつ大きくて可愛かった
そして、なによりグラマーだった
元気だろうか?
そして新校舎へ
4年生の途中に新校舎へ移るのですが、古い教室から机などを新校舎に運び入れました
すべてが新しかったです
「ベランダのある学校」「らせん階段」「給食室」すべてが新鮮でかっこよかった!
当時、「中部地方一の小学校」と言われたような
この校舎で初めて防火扉というものを見ました
この扉、衝撃を与えると閉じる仕組みになっており、上の方にあるポッチを回してゆっくり閉めると元の位置に戻る仕組みでした(最初にその扉を動かしたのはHくんでした)